「自分の手で、
目の前の方に喜んでいただく」。
常にこの思いを胸に、
患者様一人ひとりに真摯に向き合います。
美容医療は、患者様の人生に寄り添い、
より良い変化をもたらすものであると
信じています。
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私が医師を目指したのは、高校生で将来の進路を考えたときでした。自分の手で相手が喜ぶ仕事に就きたいと思って、真っ先に浮かんだのは、中学1年のときに私を救ってくれた眼科の先生でした。
その年、私は事故で目の下の骨を折り、片方の目が上を向かなくなりました。投げたボールは二つに見え、キャッチボールさえできなくなりました。愛知県には治せる医師がおらず、このまま一生を過ごすのかと思っていました。
そんなとき紹介されたのが、浜松にある専門の眼科です。すぐに手術を受け、元の生活を取り戻すことができました。ひどく悩んでいた私の人生を、ひとりの医師が変えてくれました。医者はかっこいいと、心から思った出来事でした。
医者は、相手が喜ぶ姿を目の前で見られる仕事です。祖母を心臓の病気で亡くしていたこともあり、あの先生のように自分の手で命を救いたいと、心臓外科医を志して医学部へ進みました。
心臓血管外科で過ごした日々は、今の私の原点です。命に関わる状態の患者さんがチームの力で回復していく現場で、鼓動を手に感じながら、ミリ単位の精度を求められる手術に向き合いました。
そこで出会った恩師は、低侵襲心臓手術のパイオニアとして世界的に評価されていた先生です。けれど、その真価は実績ではなく、患者さん一人ひとりに真摯に向き合い、最善を探し続ける姿勢にありました。
「完璧な手術に王道なし」。恩師から受け継いだこの信念は、今も医師としての私の中核にあります。精緻さへのこだわりと命への責任感は、自然で美しい仕上がりを目指す美容医療においても、変わらない指針です。
転機が訪れたのは、心臓外科医になって2年ほどたったころ、最初の娘が生まれたときです。それまでは外科医として上を目指すことしか頭にありませんでしたが、娘の誕生をきっかけに、家庭もきちんと築きたいと考えるようになりました。
ただ、心臓外科は24時間いつ呼び出されるか分からず、休日でも電話が鳴れば病院へ戻る生活です。この働き方のままでは、家庭を守れそうにありませんでした。患者さんを救いたくて選んだ仕事なのに、目の前の方に本気で向き合う余裕がなくなり、気持ちも少しずつすり減っていきました。
ずっと心臓外科医として生きていくのだと思っていました。それでも原点に立ち返ると、私がやりたかったことは、自分の手で相手に喜んでいただくことです。そこに家庭を守れる働き方が重なったのが、美容外科でした。
給与の高い求人も多いなか、私が選んだのは、技術を徹底して学べる美容外科でした。給与は同業他社より低くても、何か月もかけてしっかりと訓練を受けたことで、患者さんに安心していただける、自信を持った技術を身につけることができました。
BIANCA CLINICに移ってからも、第一線の先生方の手術を見学し、勉強会に通いながら治療の選択肢を広げ、銀座の院長として現場を率いてきました。
2026年、自分が理想とするビジョンを形にした、SAIGA CLINIC NAGOYAを名古屋・栄に開院しました。
目指しているのは、何の手術をしたいかではなく、何の悩みを解決したいかから始まるクリニックです。病気の治療はマイナスをゼロに戻すことがゴールですが、美容医療は、ゼロを7にしたいのか10にしたいのか、人によってゴールが違います。
だからこそ、その方のための時間をしっかり確保し、お悩みをゆっくり伺ったうえで、理想と医学的にできることを擦り合わせていきます。
中学1年のとき、ひとりの医師の手で人生を変えてもらいました。
「自分の手で、目の前の方に喜んでいただく」。
これが今も変わらない、私の仕事の原点です。
1989年生まれ。2014年、愛知医科大学医学部を卒業。名古屋第一赤十字病院で初期研修を終え、同院の心臓血管外科に勤務。
2018年、水の森美容外科に入職し、東京新宿院・東京銀座院の院長を歴任。2022年にBIANCA CLINICへ移り、銀座の副院長、院長を務める。
2026年、名古屋・栄にSAIGA CLINIC NAGOYAを開院。美容外科専門医(JSAS)、日本美容外科学会正会員、日本抗加齢医学会会員、VASER Lipo認定医。